昼下がりのコーヒー屋で

 

私には、私の為の避難場所というものが存在していて、それが無くなってしまったら案外呆気なく死んでしまうのかもしれない。

 

小さなコーヒー屋さん、今は無きカフェ、友人が働いている場所、約束せずとも友人と会うことができる場所、気軽に会える距離にいる友人、手紙でも繋がっている友人。

そういうものが日々の生活をどうにかやり過ごす材料になっている。

私は基本的には人が嫌いで、できることなら関わりたくないと考えがちな人間だと思っている。が、ここ数年でその考えは少し変わってきているように感じている。

以前は「人は人、自分は自分」ということを頭では理解しているつもりではあるが上手く切り離すことができていなかったのだろう。

今にも増して人の目や意見を気にしていて、表を取り繕うことばかりをしていたように思う。私は自分の人生を生きているのであって、人に合わせて何になるのかと。もちろん同調や寄り添いが必要な場面もあるだろう。だが、それだからといって相手に合わせ過ぎるのはあまりにも不毛ではないか。万人に好かれることはない、かと言って万人に嫌われることもない。大半の人間にはさして何とも思われていないものだ。そいつらの機嫌を取ったところでどうなるというのだ。それならばその労力を大切な人、大好きな人の為に使いたい。嬉しいや楽しいや心地よい。きっとそれが幸せというものに近いのだろう。

こんなことを書いていると、岡山へ行った子のことを思い浮かべてしまい心臓が"ぎぃーっ"となるのである。